ダライ・ラマ8世の言葉より「密教的な生活の神髄」

最終更新: 2月2日

伝えたいことって何だろうと考えたとき、私自身の中にある考えや気持ちだけを書くことってなかなかに大変なことに気づきました。笑


なので好きな言葉や好きな文章、知っていることをシェアしようと思います。


そこから私が気づいたことや思ったことを書くようなスタイルで、ブログを始めたいと思います。


さて、今日はダライラマ8世の言葉を紹介したいと思います。

でもその前に、前置きの説明を。。。。笑


ヨガの実践や、瞑想、とくにマインドフルネスというのは、間違った思い込みから自己を開放して、自由になるためにあります。


良いこと、悪いことは全部今の私たちの価値観で決まっていて、今までに身に付いた常識は、今までに身に付いた偏見かもしれません。


私たちはなんで生まれてきたのか、それは良いことも悪いことも、自分という器を通して神様(この世を作ったものであり、この世全体であり、本当の自分)がこの世を経験するためだと、ヨガ哲学では教えています。


この世は神様の遊び場。


神様からしたら、良い経験も悪い経験も、経験出来てありがとう!!なんです。

私たちの良かった!悪かった!なんて思いを飛び越えて、すべてとつながるために、自分の分身として私たちが生まれました。


だから、私たちも、そこに良い、悪いの意味なんてつけずに、ただありのままに現実を受け止めて、自分の望む未来のために、神様のためにできることをしていく。

自分が!!という思いを手放して、この世(この世は神様の顕現)に尽くす。


そうすることで、私たちは神様と繋がる。

世界と分断された自分と感じる状況から、世界とつながっている自分を感じる状況にシフトチェンジさせていくことが幸せになる方法である、とヨガでは解きます。


それではここから言葉を引用させてもらいます。


「この世とあの世で経験する物事はすべて、

 自分自身の思いによって作り出された幻である。

 だが、こうした物事への執着が、さらに知覚をゆがめるのだ。

 執着を捨てよ。

 そして、物事が実際に存在している通りに観察せよ。


 誰かに会うときはいつでも、あなたは、慈愛をたたえた微笑むようなまなざしで、

 彼らにお会いなさい。

 あなたは、人を傷つけようとする意志や、

 欺こうとする思いを持つことを考えてもいけないのだ。


 他なるものを曼陀羅の諸尊が姿を変えて現れたものとみなすような、

 すなわち、あらゆる出来事を、「諸尊が演じるお芝居」であると解するような、

 あらゆる音を、マントラやダラニとして聞くような、

 あらゆる思いを、空性を理解する智恵と一体化した大楽であると見るような、

 純粋な見方を常に保持しなさい。

 これが密教的な生活の神髄である。」


ダライ・ラマ8世


この文章を読んで、何を感じるかは人それぞれだと思います。


私は、この世へ向けるその姿勢が、純粋に、美しいなと思いました。


私はヨガ哲学を伝える立場ではありますが、あくまで、それをヨガ哲学の言葉として伝えています。

私の信仰として伝えているのとは違うから、一歩離れて哲学を観察しています。


世界には様々な倫理、哲学、宗教含め、本当に素晴らしいものがたくさんあります。

どの考え方を聞いても読んでも一理ある!!というのが、私の経験上の思うところです。


何が正しいかを信じるのは個人の自由。

ただ、こういう考え方があるよ、こうしたらもしかしたら生きやすいかもしれないということを、ブログやレッスンを通して伝えていけたらうれしいなと思っています。


この文章やヨガ哲学のように、自分の周りすべてが神様だと思えたら、私はきっとすべてに対して礼儀を尽くして丁寧に丁寧に生きることができるだろうし、それはそれできっと素晴らしい人生だと思います。


でも、まだそこには至っていないので。

少しずつ、遠回りかもしれないけれど、これからもいろんなことを経験して、いろんな考え方を知っていくことで、私の世界への姿勢が出来上がっていくのだと思います。


それを丁寧に楽しみながら、伝えながら、ヨガして瞑想して、、、みんなと繋がって、生きていきたい。













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